「塾」

12年09月16日

西大寺駅からの眺め

小学校

ほんの少し前のブログ「塾」で書いたように
小学校時代のスパルタ塾
思い出深いです
べつに塾ばかり行ってた訳ではありませんが
素朴な田舎(奈良市押熊町)のどこにでもいる小学生でした

そういえばその頃から「最近の子どもは可愛げがない」とか
「子どもらしさがない」
とかよく耳にしていた記憶があります

今も昔も変わらない若者への批判です

小学校時代は1971年~1977年
総じて豊かさを求めて一生懸命みんなで働いた時代といえます
だからといって高度成長期的なバリバリ頑張る子どもばかりではありません
多種多様な子どもの性質を十把一絡げ(じゅっぱひとからげ)に時代の反映といってはなりません

生まれつきの性格が伸ばされるか否か
なにが影響するのでしょうか
もしかすると社会には目標があったけど子どもにはこうならねばといった具体的な目標などなかったのかも知れません
仮にあったとしても

子どもらしくたくましくそれなりに利口に
程度でしょうか
だいたい「昔はみなわんぱくだった」そうです

山や川など自然の中で遊ぶ子どもはたくましくなるでしょう
自然は楽しく美しい反面ひ弱な子どもにとっては凶暴で危険です
今の小学生は遊びの環境に恵まれてません

さてシゲキの母校は奈良市立平城小学校

幼稚園は学園前駅前の私立に通っていました
近所の新設小学校に進学することになっていました
しかし祖父達の住む実家に突然転居することとなりました

奈良とはいえ都会の新設小学校
もしここに進学していたらどんな人間になっていたのか
間違いなくもっとおとなしい子どもになっていたでしょう

平城は古い小学校
親子三代で卒業生です

自然が残り周りも
すぎちゃんじゃないけど
ワイルドな子どもが多かったです

典型的な経験ですが
「虫とり」「基地ごっこ」
高学年からは「草野球」
今のように揃いのユニフォームもなかった
ついでに監督もなし

前回の話しとは矛盾しますが
もう一度小学校時代やり直せるなら
草野球最後までやりたかったと時々思います

最後に小学校一年生通学路の記憶

一人で歩く私の横をぴったり付ける同じ町内の少年
嫌がらせのようにぴったりついてくる
速めても遅くても
当時は嫌がらせに感じましたが今では「見慣れん奴やけど一丁様子みたろか?」
といったところでしょうか
犬同士が吠えたりじゃれたりするのと同じですね

あんなささいなことからケンカしたり仲良くなったり子どもの人間関係もなかなか微妙です
その後もささいだけれど数多くのいろいろなことがありいわゆる「社会性」を身に付けていきます
決して記憶に残る出来事だけではなくて小さい事の積み重ねが人格を作り出していきます
平凡な結論でした

かつて同じ町に住んでた中谷君
けっこう人気者でした元気かな・・・
すいませんまた先生のこと書けなかった

次回テーマはもう少し絞って「修学旅行」